|
||||||||||||||||||||||
異質競争に持ち込むあるいは戦いをしないで済む状況に近づけるために、ブランド戦略や知的所有権戦略があります。1975年ごろ勉強会に弁理士さんをお呼びして商標について学んだことがありました。当時弁理士さんは長野県に4人しかいない時で、善光寺まんじゅうを例にして説明してくれたことを今でも鮮明に覚えています。A店が善光寺まんじゅうを扱い繁盛しているとき、近くのB店が善光寺まんじゅうを商標登録してしまうとA店は何も対抗できなくなってしまいます。当時一休さんに似たキャラクターを使っていましたので、さっそく弁理士さんに閲覧調査してもらうと未登録でした。申請から3年ほどかかりましたが、登録できましたのでCIをまとめテレビCMも作成しました。FC展開もして91年に60社、96年がピークで83社、いまは65社がFCに加盟しています。FC展開を開始してから35年が経過しましたのでリニュアルの時期にあると考えています。一休さんチェーンのFC展開で2つ気が付いたことがあります。ひとつ目は地域の一番店は加盟せず、2番店以下の会社が加盟し、加盟後一番店になっています。二つ目は社長が50才以上だと加盟しません。ソフトというものが理解できず価値を見いだせないようです。 企業活動の最終目標は経営理念の実現にあります。当社はお客様、会社、社員の3者の満足の実現を経営理念にしています。この実現に向けて社員研修や外部勉強会への参加をしてきましたが、なかなか成果がでませんでした。そんな時ISO9001のことを知り、ISOを使って顧客満足を高めようと考えました。98年に取得するとメーカーではないのになぜと聞かれますが、社員、商品、システム、店舗の4つに品質方針を作り、評価制度により毎月評価を繰り返しています。100%は当たり前、150%は感激に、200%で感動感謝を合言葉に皆ががんばってくれています。毎月の評価で昨年は92%までできるようになったところです。 生物の世界で生き残るのは強い種ではなく、変化に対応した種と言われますが、会社も同じで変化対応が大切です。1963年に花岡家具センターを創業し、家具の販売が本業でした。ある時尊敬する先輩からこれからは仏壇が伸びるから扱うべきだと助言され、初めはわずかですが店内に仏壇を展示するようになりました。ある日、おばあちゃんが来店し、亡くなられたご主人の供養のために仏壇を購入されました。法要が済んだ翌日挨拶に伺うと「あんしゃん、ありがとよ、おかげでじいちゃんの供養が立派にできたよ。」と涙を流しながら手を握り話してくれました。お客様に喜んでいただける素晴らしい仕事だと実感しました。このおばあちゃんがお亡くなりになった後、息子さんからいつも着ていた着物の布切れを形見にいただき、財布の中に入れいつも持っていました。そして仏壇店の多店化を進めました。社長職を譲り会長になる時に、この話を初めて社長にしました。社長はこの布切れは我社の宝だと言い、私の財布の中にあった布切れは今は大切にされています。 家具の花岡は国道沿いで大規模小売店舗として一店舗で営業を続け、利益も出ていました。アメリカ視察に行くと家具店は大型化がいっそう進んでいました。県外の会社から家具店とホームセンターを複合で大規模化しましょうという話をいただき、当時の商調協に申請しました。地元企業であり、私は地元の経済界で活動もしていましたから、良い答申が出ると考えていましたが、店舗面積が半分にされてしまいました。この答申には本当に腹が立ちましたが、熟慮ののち家具店の出店はあきらめました。今になって北信の家具店の状況を見ますとあのとき出店をあきらめて本当に良かったと思います。 墓石事業を始めた時も同様に禍転じて福となることが起きました。墓石を本格的に始めるために発注を掛けるとその会社から受注できないとお詫びに来社されました。65社からなる地元組合からクレームが来たという話でした。たまたま信州大学の先生から中国人の学生を採用してくれないかという話がありました。彼を採用し、人脈を使って探してもらうとISO9001を取得している優秀な中国のメーカーが見つかりました。国内ではできたものを発注しますが、中国のメーカーには設計して発注します。彼が図面を持って中国へ行き検品までしてきてくれ、墓石事業はSPA型石材店舗という素晴らしいかたちで軌道にのりました。 自社で図面を作る必要があったため始めた設計が今は一休さん販売情報管理システムや一休さんCAD・CGシステムという優れたものに進歩しています。社内には1秒ルールや10分ルールというITシステムに対するルールがあります。当初は石材の図面の作成に半日以上かかっていました。担当者に時間短縮の可能性を訪ねると無理だと即答でした。 松下幸之助さんが10%20%のコストダウンは難しいが、50%のコストダウンは出来る、発想の転換でできると仰っています。当社でも発送を変えて対応が出来ました。 「一水四見」という熟語があります。見方や見る主体が変われば認識が変わり、決断し行動する時に良く調べる必要があるということです。霊園事業を始める時に調査をしました。日本の墓地は寺や村はずれにあるか公営墓地が主なものですが、暗い、汚いというイメージが強いのがわかりました。当社の霊園事業はまったく違ったビジネスモデルにしようとエンゼルパークと名付け、コンセプトは家族みんながピクニック気分でお参りできるとしました。明るい公園のように設計し、花が咲き乱れるように管理しています。小さな子供を亡くしたお母さんが毎日お参りに来ていました。ある時スタッフが花壇の植え替えの準備をしているとぜひ手伝わせてほしいという申し出があり、いったんお断りしたのですがどうしても手伝いたいということでやっていただきました。しばらくたってこのお母さんが赤飯を持ってお礼に見えました。お話をお聞きすると子供を亡くしてうつ病になってしまったのがエンゼルパークの花の植え替えで治ったそうです。都内から70台のご夫婦がお見えになり、奥様の希望で花の咲くところのお墓に決めたいということで契約していただきました。お医者の言うとおりしばらくして奥様がなくなり、ご主人は毎月の月命日にお参りに見えていました。7回忌をフルートの演奏の中で行い、自分も年でこれから毎月は来ることはできないがエンゼルパークなら妻も満足していると言っていただきました。エンゼルパークは今までの霊園事業とは違うこれからのビジネスモデルになったと思います。 (文責/関 隆之) |
||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||
|
過去の議事録はこちらでご覧になれます