渡辺社長から「この20年間、いろいろありました。」というタイトルでお話いただきました。
御宿記念館は大正天皇の即位の日から商人宿として始まりました。妙高に記念館山荘も営業していました。大学卒業後2年間手伝いをしましたが、給料も少ししかもらえない状況だったので焼き鳥店を始めたのが多角化の始めです。ビジネスホテルを始めるとき、そのホテルでレストランをする必要がありイタリアントマトも始めました。4C会にも入会し、事業も順調に拡大していました。
そんなときシンガポールの高島屋に出店したのが失敗で毎月送金が必要な状況が3年続きました。これが出来たのも長野がよかったからですが、オリンピック後にホテルが出来すぎ飽和状態でいっきにホテル事業の採算が悪化しました。レストランやカラオケも単価の下落で大変ですし、1億円の不渡りも経験しました。皆さんのおかげで、赤字の清算に向け、頑張っています。
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