倉島会長から会社の歴史と概要、社長交代から今日までをお話いただきました。
先々代が昭和3年に自転車を商いしたのが創業です。昭和32年からスズキのバイクを取り扱い、11年間連続で販売台数日本一を達成しました。世の中のモータリゼーションの波に乗り昭和41年からサニーの販売を始めました。
車の販売は特約販売契約を結んだ、特約販売店として行ないます。販売する車はもちろん部品も純正部品ですし、看板も販売する地域も契約で決められています。
そのような環境ですから、先代は拠点展開により販売台数を毎年3割増加させ、さらに他社との業務提携や買収により業績を大きく増加させてきました。当時は成長期ということもあり販売台数の増加が一番大切な時代でした。台数が伸びればメーカーからのインセンティブが増えて儲かりました。
現在は長野県内で販売される日産車の約3分の2を販売しています。業績向上が人の力によるところが大きい業種のため社員比率が高いのですが、昭和50年台よりよい人が取れません。社員教育には熱心に取り組んでおり、時間もお金も使っています。
結婚する時は女房より先に親父さんに会いました。あとで 婿を探すのではない会社のスカウトだ と言っていたと聞きました。仕事が出来なければ社長にはしないといわれていましたが、先代と同じ38歳の時に社長になりました。会長になってからは会社に来ないで任してくれています。会社をよくすることを任した、悪くするのは任していないと言われています。
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