ユニー株式会社
 名誉会長 
 西川俊男氏

激動の時代と私の経営観

1.小売業を取り巻く環境

(1)規制緩和

 最近の雪印食品の事件ですが、安心で、安全な商品を提供するという、食品会社では、極あたりまえのことができずに事件になってしまうという状況を見て非常に残念に思う。
 企業では、トップに立っている者の強い理念が極めて重要となります。
 顧客に、心が届くような経営をして喜んでもらうこと、世の中の変化にどのように対応していくのか、変化を敏感に感じ、トップとしてどう対応するのか判断し、実行することが大切です。
 大店法が廃止され、大店立地法になり、大型店の出店に対する規制が緩和されました。こうなると、当然競争が激化します。
 企業が倒産する場合、確かに、不況とか競争の激化などの要因もあるが、一番は企業の内部崩壊によるものです。
 私は、プラハで開かれた国際チェーンストア協会の総会に出席してきました。そこで、小売業世界一のウォルマートの社長と話す機会がありました。ウォルマートは、昨年の売上げが30兆円となり、GMを抜いているが、会社の歴史は40年しかありません。どうしてこのような成功を収めることができたか、その秘訣はなにかと社長に質問した。その答えは、小さなあたりまえのことを、着実に実行して積み重ね、このことをやりつづけることというものでした。
 アイルランドのダブリンでは、よく国際会議が開催されます。国土は、岩に覆われたところが多い岩の国ですが、この悪い土壌をねばり強く、丹念に耕して農産物を生産・加工して輸出している、伝統的な農業国ですが、ここ5年間、二けた代の経済成長をとげています。このことを可能にしている要因はただ一つ、税制を変えたこと、つまり、法人税率を世界一低い12%に抑えたことにより、世界中から優良企業の進出が相次ぎ、活性化しているからです。
 株価が低迷し、国債の評価が落ちている中で、小泉内閣がやるべきことはまさにこのこと、税制改革であり、決断をしなければならない時期がきていると思う。

 

(2)市場の変化

 速いスピードで世の中は変化しています。私は、21世紀のキーワードは、変化とスピードだと考えています。顧客のニーズも同様です。かつて、私は、車社会がこんなに急速に進むとは思っていませんでした。また、今、カルフールが日本で3店目の出店声明(名古屋市へ)を発表しています。カルフールは、まだ日本では成果をあげていない実情の中でもです。 
 市場では、高齢化、女性の社会進出、少子化、単身世帯の増加、また、情報化の促進による選択幅の拡大、商圏の広域化、価値観の変化などの状況があります。
豊かになると価値観も変わり、距離ではなくて時間を重視するという傾向が強くなり、長野の人でも、本当に欲しいものは東京で、あるいは海外で買うであろうし、すぐ必要なものはコンビニで買うということです。実際に、コンビニは成長を続けており、ユニーグループのコンビニはスタートが遅かったが、サークルKは全国で6,000店舗になりました。
 今、消費者は、物を買う場合は、自分の欲しいものを、欲しい分だけしか買わない、また、買い物以外でも、非日常的なものを求めています。例えば、旅行社の企画で、船の旅が満杯になっていることにもその一端があらわれています。
インターネットなど、情報化社会が進むほど人々は、心のふれあいを求めるようになるものです。
 ユニーで映画館を9館もっていますが、映画の場合は、良いフィルムが1本出れば、1ヶ月で1億の売上げを上げ、数ヶ月もこの実績を継続できることとなり、前年対比といったこととは全く関係のない状況が生まれます。
要するに、新しい文化提案をいかに行なっていくかということであります。
若い人は、“未来はどうなっていくのか”という目に見えないものから“心を癒す”、“健康”、“環境”という目に見えるものに価値観を見出すよう変化してきています。このような消費行動の傾向一つを取ってみても、経営の仕方は変わるということが言えます。

(3)小売構造の変化

 現在、ドラッグストアー、スーパーマーケット、ホームセンター及び、家電・玩具などのように専門化した大型店といった業態へと小売業が変化してきている。 地域の商店街から講演を頼まれてお話したことがありますが、これからは、ワンストップショップを志向したGMSも変えていかなければならない、中途半端では、なにも無いのと一緒です。パワーセンターのように価格中心のやり方も業態変化の一つの現れです。
 アメリカの小売業は、業態開発の歴史であり、常に他との差別化を追及していかなければ、生き残れません。シアーズもKマートも売上げ規模はダイエーの2倍ですが、倒産してしまいました。このことは、ただ安いだけではだめということ、また、企業の規模は何の補償にもならないことを示しています。
 業態なのか、商品なのか、サービスなのか、いずれにしても質の高い個性が無ければ、企業として存続はできないのです。

 

2.今後の戦略課題

(1)今後の生き残り戦略

 規模の競争はこれからも続くであろう。例えば自動車関係では、アメリカのGM、フォード、日本のトヨタ、本田等数社、ベンツなどが優れた企業であるが、ドラッカーはこの中で生き残れるのは、フォード、トヨタ、ベンツだと指摘していた。それは、これらの企業には創業者の精神が息づいているからであるということです。寡占化はこれからも進む状況の中で、生き残って行くためには、国際競争に勝つか、地域で生き抜くかである。 
 何で絞り込み、何で特色を発揮するのか、明確な企業理念をもって、他人に迷惑をかけず、知恵を出して、得手のことをしていく経営をこれからは重視しなければならない。また、経営者として成功する条件は、すなおで、決してえらぶらず、ひとのいうことを聞く耳があり、いつもにこにこ、前向きの姿勢を併せもっていることです。

 

(2)競争優位の戦略

 サービスの主役は人間である。心をいかに伝えるのか、それが問題なので す。シアトルの小さな靴屋から出発して、百貨店にまでなった企業があります。そこで私が絵を買った時の話ですが、私は、気に入った絵は気に入った額に入れたいと思い、額に入って売られていた絵を、その絵だけを売って欲しいと店員に話しました。  
 たいていのところでは、そのような要望は即座に断られるのだが、この百貨店では、店員が「暫くお待ちいただけますか」と私に言って、相談してきたのでしょう。この要望は聞き入れて、絵だけを包んでくれました。競争優位の戦略とは、第一に、顧客は100%正しいということ(客は無理を言う)、第二に、リピート客は、その企業の資産であること(リピート客の率を高める)第三に、現場の三人で決まること(店長、販売員サービス、商品部の品揃えのレベルアップ)です。

 

(3)地域・再生への道

 薪能で有名な丹波篠山を訪れたとき、そこの商店街を歩いてみて、日本人のふるさとを感じた。この商店街では、つぶれた店が一軒も無いということででした。 それは、実際にそこで買い物をしてみて、どの店も、身の丈を知った無理をしないやりかたで、得手のことをやっていて、訪れた人に、そこでしか得られない感動をあたえることができ、心と心の触れ合うサービスを提供していることだと思いました。

 

3.私の経営感

(1)人生の4つの節目

 一つ目は、学校を卒業して製薬会社へ入って暫くして、両親に呼ばれて父親から、小売業はこれからどんどん変わり、成長していくから家業を継げと言われたときです。その時母親の、「小売業を一緒にやって欲しい」という一言で私は決断しました。その時以来、今年で50年、年商僅か三千万円の店が、ユニーグループ全体で年商2兆円の企業になれました。
 二つ目は、初めてアメリカへ行き、当時、小売業トップのシアーズを見た時です。 ここで学んだのは、チェーンストアーが成長戦略であるということであり、これを実践してきたわけです。アメリカ人と同じことを日本人ができるのかという見方もあるが、日本人には緻密さ、器用さ、勤勉さなどの特性があります。 最近の例でいえば、指揮者の小澤征爾が、ニューイヤーコンサートでウイーンフィルハーモニーを指揮して成功を収めたことにあげられるように、日本人でもやり方次第で世界に通じるのです
三つ目は、ほていやとの合併です。合併により、足元を固めることは大切な戦略です。インターネットと店舗を融合させることにより、お客様に満足をして買い物をしてもらえることと同じ様に、大手と中小が、お互いの良さを認め合って融合し、共生していくことができたのです。
 四つ目は、新しい業態の店舗を展開する、多角化戦略であります。この戦略により、ユニー全体で、経営者の育成をしていきます。企業経営においては、10年ごとに節目がくるが、これをどのように乗越えて行くか、ちょっと先を見る努力をし、判断できる能力を育てることで、将来大きな違いが出てくるのです。

 

(2) 私の好きな言葉

 一つは、「今からスタート」です。サークルKをスタートさせた時も、今からでも遅くない、今からスタートだという意識がありました。
小売業の3つの柱は、小売業は便利業、地域に合った品揃え、どこよりも安い、だと考えています。未来は、過去の延長線上ではないのです。
 もう一つは、「人生の三感王」です。これは、感心、感動、感謝ということですが、“感心をもって学ぶ心があり”、“いつもわくわくする気持ちで”、“感謝する心を忘れない”が私の信条です。
 ある講演の時、経営の三感王はなにかと聞かれたが、なるほどと思って、危機感と応えました。第一の危機は、昭和34年の伊勢湾台風で大きい被害が出た時であり、地域の人々は、着るものも無い状態でした。私は水に浸かった衣料をただ同然で売って、その人たちが涙を流して喜んでくれたことから、「よし、この仕事続けよう」と、逆境を見方にすることができました。
 第二の危機は、ニチイ(マイカル)との合併の話があった時です。
 相手方のトップとの話し合いを重ねるごとに、経営の理念が合わないと判断し、合併はとりやめました。
 第三の危機は、バブルの最中にメインバンクの頭取から、借金をしてもっと儲けたらどうかといわれたときです。当時は無借金経営で、そんな大きな借金をして経営をすることは、私の経営哲学に反するとして、これを断りました。その後バブルが崩壊し、借金をしなかったことが幸いしたということです。経営者として、会社をどのようにしていきたいのか、その志を明確に持ち心を込めて「顧客に徹する」ことが大切なことなのです。

 

 

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